HYDEインタヴュー(前編):VAMPSとしての海外進出「アメリカのラジオで普通に曲が流れるのが夢」https://t.co/ffJud53sYR#HYDE pic.twitter.com/KjL7qBiDGK
— ローリングストーン日本版 (@rollingstonejp) 2016, 2月 6
VAMPSとしての海外進出「アメリカのラジオで普通に曲が流れるのが夢」
過激でも、どこか美しいものが作りたい
─本誌初登場なので、まずはHYDEさんのパーソナルな部分から聞かせてください。小さい頃から絵を描いていたとのことですが、きっかけは何だったんですか?
好きだったから、たくさん描いていたんです。たぶん、ちょっと才能があったんですね(笑)。そう思うと、拍車がかかるというか、調子に乗るというか。少なくとも、自分と同じ年代では負けないし、すごく自分に向いているんじゃないかなと思っていたんです。で、将来はこれだなという感じに変わっていって。高校も美術系の学校へ行ってデザインを勉強していたんだけど、自分には色弱というハンデがあった。
漫画家とかのように白黒の世界で闘う分にはいいけれど、デザイナーとしてやっていく時に、依頼を受けて色がわかりませんっていうのはどうなんだろうなって、ずっと気にはなってたんですね。でも、とりあえずデザイナーになるための、勉強をしていたら、音楽と出逢って。
音楽は僕の見たままを語るだけで相手に伝わるんですよ。僕のみた「赤」はみんなの見ている「赤」とは実際は違うかもしれないけど、僕が「赤」と呼んだら、みんな勝手にそれぞれが思う自分の「赤」を想像するじゃないですか。だから、音楽は自分の足りないところを補ってくれるという感じでしたね。曲作りを始めてからわかったことですけど。
─色って全然わからないんですか?
わかるんですけど、見えてる色が人と違うんですよね。 赤が何%か少なく見えるらしいです。
─それはライヴをやっている時とかには、支障はないんですか?
僕自身はちゃんと見えているので。僕にとって、赤はこの色だっていうのはあるんですが、それがみんなと違うというだけで。 だからこそ、音楽は言葉で伝えられるから、世界が広がったんですよ。
─HYDEさんを音楽の世界にグッと引っ張り込んだきっかけって?
ニューロマとの出逢いですね。いわゆるエイティーズ。カジャグーグーとかデュラン・デュランとか。そのなかでもいちばん強烈だったのは、デペッシュ・モードで、いまだに大ファンです。最初に「ピープル・アー・ピープル」を聴いた時は衝撃でした。
─じゃあ、デペッシュ・モードがいわゆるロックの洗礼みたいな?
その前にジョーン・ジェットの「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」が流行っていて、ラジオでよく流れていたんです。その時は、「なんで真夏にこんな暑苦しい音楽聴くんやろな」 と。 ロックがまだわかっていなかったので、「こんなうるさい曲、よく聴くなぁ」って。
それが、たぶんロックとの出逢いですね。うるさいし、オフコースみたいにもっとさわやかなのを聴こうよって思っていました(笑)。
─オフコースが好きだったんですか?
はい。今でも好きです。
ーオフコースってニューミュージックですよね。
そうですね。小学校の時ですけど、かなり入っていきましたね。いまだに当時の曲を聴くと胸が熱くなります。ぐわっと当時の記憶がよみがえる。やっぱそういうジェネレーションというか。
─僕もオフコースの1982年の武道館10デイズに行ったので、その気持ちはすごくわかります。オフコースって歌詞も日本語ですし、日本人ならではの物語を描いていると思うんですよ。それで言うと、ロックは英語だし、アメリカで生まれた文化ですよね。 立川談志師匠が 「その国で生まれたものしかその国の文化になり得ない」と言っていたことがあって。 で、 あえていうと日本に本当にロックという文化は根付くのかなとも思うんです。
今の話って、要はロックとは何なのかっていうことだと思うんです。そう考えると、僕は、ジョーン・ジェットを聴いた時に感じたことがロックなんじゃないかなと思っているんです。それは大人のための嗜好品に似ているんじゃないかって。
例えば、僕はお酒をほぼ毎日飲みますけど、子供の時に飲むと不味くて、こんなもの飲むヤツの気が知れないと思うでしょう? でも、ティーンエイジャーになる頃になると、妙に誘ってくる。煙草もそうですけど。それと同じようなものが、僕はロックであってほしいなと思うんです。
だから、子供でもなんでも扱えるものじゃダメなんじゃないかな。ロックの定義としてね。僕らの世代は、特にそういう世代だったような気がするんです。今でこそ、ラルクや、他のバンドもロックでもポップなアプローチをしたので、小学生の頃から好きだったと言ってくれる人がいたりします。
それに、アニメとロックもすごく密接な関係になったので、すごく曖昧になってしまいましたけど。本来ロックっていうのは、もっと毒々しくて、「子供にはまだ早い、大人になってから聴け」っていうようなものだと僕は思うんです。そういう、意味でいうと、それをロックとするのであれば日本でも僕は根付くと思う。
ただ、英語の発音であったり、英語の言い回しがかっこいいのがロックなんだよって言われてしまうと、それは無理だねってなる。ネイティヴ独特の英語の使い回しや言葉遣いは、本当に難しいですから。
それが本物のロックだって言われてしまうとなかなか難しいですね。
─確かに。
あと、やっぱり文化を知らないと、その言葉にならないって言いますよね。英語だけ覚えても、文化を知らないと辻褄が合わなくなってくる。
例えば日本人が感じる桜と、外国人が感じる桜は明らかに意味が違う。我々は桜を見て、美しいと思う気持ちと同時に卒業の寂しさ、旅立ちのイメージなんかも同時に感じるのをアメリカ人は知らないだろうから、桜の歌を歌っても本来の意味は理解してもらえない。
きっとアメリカにも同じような季節を感じる何かが存在するのを僕たちは知らない。その文化がわかっていないと、話が合わない。説明が必要になる。
─VAMPSでは英語詞でのリリースが続いているのは?
基本的に、僕はもともと英語の曲が好きなんです。メロディの流れだったり、雰囲気だったりが。ただ、好きだけではなくて、海外に出るからには、 英語はマストだと思っているんです。とはいえ、好きでやっている部分が大きいので、そこはあまり意味はないかもしれない。まあ僕なりにやっているという感じですかね。
─やっぱり海外進出には歌は英語がマストなんですかね。例えばアイドルだと、日本語のまま行ったりしていますが。あるいはラルクがマディソンスクエアガーデンでライヴをやった時も、日本語の詞でも大合唱してくれたりしますけど。
日本語で歌うからロックじゃないとか、歌う言語でロックだ、ロックじゃないという定義は、僕のなかではないですね。ただ、僕はアメリカのラジオとかで、普通に自分の曲が流れるとか、それが夢なんです。
そういう意味でいうと、日本語が普通に流れることは、僕はまずあり得ないなと思っていて。アメリカにメキシカンがあんなにたくさんいても、スペイン語の曲はまず流れない。そういう意味で、ほかの国の言葉を受け付けないですよね。受け付けてくれる人っていうのは、本当にマニアというか。向こうでラルクを何十年も追いかけてくれている人だと思うんです。アニメの曲や、日本のブームがあってハマってくれた人は日本語でも歌ってくれる。
でも、僕はそこから日本語の曲が広がるとは思えないんです。マニアのためには、日本語でもいいんです。ただし、そこから次の輪に広げていくことは、僕は無理だと思っていて。だから、あまりそこだけで勝負するつもりはないんです。
─確かに日本語の歌がアメリカのFMで普通に流れるのは、ちょっと想像できないですね。
まだね。映画だって、日本人が主人公の映画なんてないですからね。数ある映画のなかで登場人物でいるかいないかレベルです。それですら、今は韓国人に変わってきているぐらいだから。現状だとまず、あり得ないんじゃないかなと思いますね。
─今、HYDEさんのなかでは海外での活動の到達点というのはどこなんですか?
自分の納得いくところにはまったく行ってないです。そんなに時間をかけてやれることだとは思ってないので、短時間にできる限りのことはやりたいんですけど、なかなか上手くいかないですよね。思いどおりにはならない。
─それはなにが問題ですか?
それがわからない。上手く転がしていきたいんですけどね。日本と同じようにはならない。ライヴの動員が減った時があっても、理由がわからないんですよ。日本だと、だいたいわかる気がするんですけど。
リリースがなかったとか、プロモーションが足りないとか。向こうは「何が」っていうのがわかりづらい。だからすごくリサーチしないといけないし。日本での常識が通用しないので、試行錯誤の連続ですね。
─海外進出は、あくまでもVAMPSでなんですか?
そうなりますかね。ラルクはあまり動かないんで(笑)。
─なるほど。HYDEさんの中でラルク、ソロ、VAMPSの3つの住み分けってどういう感じなんですか?
ソロは、ほぼVAMPSとイコールですね。例えば、もし次にソロをやる時は、たぶんVAMPSが動かない時。ちょっと一回休憩しようかっていう時に、だったらソロをやるか、という感じですかね。ラルクは、VAMPSとかソロの動きに関わらず動くときにはちゃんと時間を開けますよ、みたいな(笑)。
─単純にスケジュールの問題?
スケジュールとか、皆さんのご機嫌とか(笑)。
─(笑) 皆さん、ご機嫌が、よろしくないんですか?
どうなんですかね。ナチュラルなんだと思いますよ(笑)。焦ってないというか。
HYDEインタヴュー(後編):ラルク結成25年「バンドが続くこと自体、ほぼ奇跡」https://t.co/cPkMcPMug3#HYDE pic.twitter.com/IbfFWHK2ed
— ローリングストーン日本版 (@rollingstonejp) 2016, 2月 8
ラルク結成25年「バンドが続くこと自体、ほぼ奇跡」
─ラルクって結成から何年でしたっけ?(※2015年にインタヴューを行った)
来年で25年です。
─25年一緒にいる仲間ってどんな感じなんですか?
ロックミュージシャンって変わった人が多いじゃないですか、僕も含めて(笑)。まぁ今のところ、お互い弁護士を通してしゃべるわけじゃないので、その辺はよかったかなっていう(笑)。そういうバンドもいますからね。何十年もやってるバンドでお互い横にいるのに、弁護士を通じてしゃべるっていう。
─確かに(苦笑)。
ラルクは、25年経って丸くなった部分もあれば、まだとんがってる部分もあれば、って感じなので。でも、はいびつな形かもしれないけど、まとまった時にすごくよく発揮するんでしょうね。
芸人さんが、移動する時は新幹線も別で、楽屋も別で、ステージ上がった時だけ一緒、みたいなのって聞くじゃないですか。それにすごく近いですね。
─25年もいたら、ずっと一緒にいることは不可能ですよね。
そうですね。ラルクって、「4人平等」っていうのがあったので、僕からすると4人の社長さんがいるみたいな感じなんです。4人社長がいて上手く回ってる企業なんて、僕は知らないですよ(笑)。やっぱり一人引っ張っていくような存在がいないとね。そういう人がいたら動きやすいんだと思うんですけど、4人が社長だとそこが噛み合うまで時間がかかるし。
だけど、噛み合った瞬間はものすごい威力を発揮する。お互いの人間関係も、そういうバンドマジックに似てますけどね。バンド活動自体がケミストリーになる。音楽だけじゃなくてね。そんな感じがしますね。
─きっと、25年ってそういう年月ですよね。
そこまでバンドが続くこと自体、ほぼ奇跡なので。続いてるだけよしとしてくれないですかね、世の中の人は。
─してくれると思いますよ。
と思って、活動しています(笑)。
─ラルクのメンバーとは、普段から連絡してるんですか。
ないですね。マネージャーを通じて。
─やっぱりそこは(笑)。変な話、それでバンドのグルーヴは落ちていかないんですか?
もうずいぶん一緒にレコーディングしていないなぁ。12月に出るシングルもけっこうバラバラで録ったんですよね。でも、それぞれが勝手に、お互い成長していたりするので。だから、それが組み合わさった時に、「あれ? また変わったね」っていうのがわかるんです。それがバンドとしてのグルーヴなのかどうか、わからないですけど。
─そうか、グルーヴ云々ではなくて、ラルクというバ ンドは成長し続けているんですね。
個人個人のレベルが上がっていたりとかね。そういう意味では、25年前には、この音が作れなかった感じはしますね。
─それもまた、バンドならではですね。
ラルクは特にそういう化学反応というか、バンドマジックを求めているメンバーも多いので。そういう意味では、すごくバンドらしいバンドだと思いますよ。
スタジオミュージシャンじゃないから、やってみないとどうなるかわからない。だから、自分が曲を出して、「あれ? こんな曲になっちゃった」みたいなこともあって(笑)。
それがいいふうに転ぶ場合もあれば、悪いふうに転ぶ場合もある。それがバンドだと思うんです。VAMPSは、完全にガチっと決めて作ってくので、大きなバンドマジックは少ないかもね。
─なるほどね。でも、今のところHYDEさんはソロだけでやっていくっていう選択肢はないわけでしょ。
僕だけでやると、すごく「いなたい」感じになるんですよ(笑)。K.A.Zくんみたいなちょっとおしゃれな人がいるほうが、僕好みのサウンドができるんです。
─「いなたい」っていうのをもう少し具体的に言うと?
洗練されてない感じというか。もちろんメロディやコード進行の部分では、全然K.A.Zくんにも負けてないと思うんですけど、トータル的な音作りになった時に、僕だけだとちょっと洗練されてない感じがすると思う。おしゃれじゃないというか。
言葉で説明するのは難しいですが、結局一人だと曲を作る時にメロディとバンドサウンドだけで、けっこう目一杯なんですよ。もうそこにメチャメチャこだわるから時間を全部使っちゃう。
それこそK.A.Zくんの曲であっても納得いかないとずっとメロディーを考えてしまう。だから、トータルでおしゃれというか自分好みのサウンドにするのが難しいんですよ。
─引き上げてくれるプロジューサー的な間買うの人が必要っていうこと?
そうそう、いてほしいですね。それがK.A.Zくんなんです。
─ラルクの場合は?
それは本当に化学反応で。逆にラルクでは、あまりおしゃれとか意識しないですね。
─ではHYDEさんの思うおしゃれとか、美しいものを言葉にすると?
何なんでしょうね。アートという部分で考えると、まさに僕の理想的な部分を持ってるのが、金子國義先生でしたね。高齢になっても、絵がいよいよおしゃれで洗練されていて。
そこは僕にない部分ですね。たとえ僕に同じようなことはできても、何かが足りない。おしゃれであるためには、ある程度、時代を把握してないといけないと思うんです。それは、必ずしも最先端がいいというわけではなくて、「今の時代は過去のこれがいちばんおしゃれなんだ」とか、すべての時代を把握したうえじゃないとダメで。
僕はたぶん、ある程度、現代のことはわかるし、美しいメロディは作れると思うんですが、だから僕は金子先生のそういうところに魅かれましたね。
─わかる気がします。
先生はええ齢してるのに銀座で朝まで飲んでましたもんね。で、いつも朝寝て、夕方起きるんですよ。もうけっこう高齢だったのに。僕は妖怪と思っていたけど(笑)。だからこそ、感性が若いままだったのかもしれない。すごく最後まで洗練された人でした。
─ 一緒に飲みに行ったりもしていたんですか?
銀座や、京都には良く行って遊びましたね。フランスにも行きました。
─ソロアルバム『FAITH』のジャケットは金子先生の絵ですよね。あれはどんなふうに依頼を?
「先生、ジャケットお願いします」と言ったら、「じゃあ写真送って」って言うんで「こんな感じの写真どうですかね」って俯いた写真を送って。
─イメージどおりのものが?
そうですね。でも、2回ぐらい描き直してくれてたみたいで。家に行ったら、失敗したものがありましたよ。
─2人でいる時はどんな話を?
もう教えてもらうことばかりで。何がいいとか悪いとか。 誰かが来ると、その人のファッションに対して、いいとか悪いとか。すごくズバズバ言うからびっくりしますね。「ええ? そんなこと言う?」みたいな。
─HYDEさんはどんなことを言われていたんですか?
僕自身はあまりファッションについてのダメ出しは言われなかったですね。言われて想い出に残ってるのはレストランの話。フレンチのお店に先生を招待したことがあるんです。メニューを渡して見ている時に、考えるの大変やろうから、僕が「コースにしましょうか?」って言ったんです。
そしたら、「メニューをひとつひとつ見ている時がいちばんおいしいんだよ」っておっしゃって。目から鱗ですよ。それから、メニューを見ながら店員さんに、「これはどういう料理なの?」って聞いて、頭の中で想像して「ああそういう料理ね、これは?」って。
そこでひとつひとつの料理を想像して、注文しはったんです。 そういうことなんだなって。そうしたことをいっぱい教えてくれましたね。僕にというより、周りの人にずっとそういうことを言っていました。着物はどうあるべきやとか。だから、付き人さんとか、すごくきちっとしてましたよ。
─そういう言葉とかの金子先生からの影響を、実際に作品に反映したりとかはあるんですか?
直接的にはわからないですけど、過激な部分だったり、エロい部分だったりを想像する時に僕は先生の絵が頭の中に出てきたりします。そうすると、歌詞を書く時に、すごいグロいエロであっても、かわいいエロであっても、やっぱり洗練されるんですよ。
金子先生は、彼自身がおしゃれなので、絵にする時も全部おしゃれに出るんですよ。絵に、チンチンとかばんばん出てるじゃないですか。普通に誰かが描いたら汚くなるかもしれないけど、先生が描くとおしゃれだなぁって。そういうところが、たぶん僕にとって重要なんです。
エロを描く時に、エロのままだと僕は嫌で。作品がけがれるのがいやで、なるべく汚いものにしたくない。どこか美しくあってほしいんです。過激でも、どこか美しいものが作りたい。そういうのは、いまだに先生を見習いたいなと思ってますね。
─それがある意味、HYDEさんにとっての、辿り着きたいロックの境地なんですかね?
そうかもしれないですね。今まで考えもしなかったけれど。
─どんなに過激であっても、美しいというか、崇高であるというか。
崇高とまでは思ってないですけどね。そうなったらいいけど。でも、作品を作る時、例えばジャケットであっても、飾れるものじゃないと嫌なんです。
もちろん何にもかもを吐き出すロックも重要だと思うんですけど、普段見て鬱になるようなものはちょっと嫌なんです。それは作品がかわいそうだと思っちゃうんですね。それだと普段は見てあげられない。どこか美しくあってほしいですね。
─先ほどアメリカで成功するには、ビジネスのシステムだったりを把握しないといけないという話をしていましたよね。でも、ご自身が鳴らしてる音自体は、どんどん美しいものに昇華していってるという感覚や手応えはあるんですか?
うん。アメリカの音楽を全部知ってるわけじゃないですが、自分たちならではの音はやっぱりあって。アメリカの音楽に欠けてるものもあると思うんですよ。だから、僕らにしかできないこともきっとあるはずなんですよね。
金子先生の絵がアメリカで評価されるかどうかはまた別の話なんだけど、先生の持っていたエロティックさであったり、過激さであったり。でもそれが洗練されて美しい。そういうものは、向こうにはあまりないような気がするんです。自分たちにはそれがあるので、そこは武器かもしれないですね。
濃い内容のインタビュー
有難うございます☆
